アラヴァ岬(-みさき)【米国】
岬の名前は、この地を航海したスペイン人植民者ドン・ホセ・マヌエル・デ・アラヴァ(Don José Manuel de Álava、バスクのヴィトリアに1743年1月1日生まれる)に由来する。彼は1794年、スペインとイギリスの間で起こった北米西海岸の領土争いに仲介し解決に導き、オレゴン以北がイギリス領となるヌートカ条約の締結に貢献した。
1834年初頭、日本の千石船・宝順丸が14ヶ月にわたる太平洋漂流の末アラヴァ岬周辺に漂着した。鳥羽から江戸へ米を運ぶ途中だった船は嵐に襲われ、北米に漂着したときには3人しか生き残っていなかった。彼らはマカー族に助けられたが奴隷として扱われアメリカ人に売られた。この中にいたのが後に日本語通訳となった音吉である。
マカー族はヨーロッパ人との接触による疫病により人口が激減して勢力が弱体化し、ついにはオリンピック半島の土地のほとんどを合衆国に割譲する条約を結んでこの岬付近の居留地に住むことになった。海岸沿いの湖、オゼット湖の近くには大規模な18世紀ごろの遺跡が見つかりマカー族の多くの民具などが発掘されているが、これは地震による地すべりにより埋まったと見られる(1700年に日本沿岸に大津波が押し寄せた記録があり、マグニチュード9の「カスケード地震」が現在のワシントン州付近で起こったと考えられている。これがオゼット遺跡を埋めたと見られる)。
1834年初頭、日本の千石船・宝順丸が14ヶ月にわたる太平洋漂流の末アラヴァ岬周辺に漂着した。鳥羽から江戸へ米を運ぶ途中だった船は嵐に襲われ、北米に漂着したときには3人しか生き残っていなかった。彼らはマカー族に助けられたが奴隷として扱われアメリカ人に売られた。この中にいたのが後に日本語通訳となった音吉である。
マカー族はヨーロッパ人との接触による疫病により人口が激減して勢力が弱体化し、ついにはオリンピック半島の土地のほとんどを合衆国に割譲する条約を結んでこの岬付近の居留地に住むことになった。海岸沿いの湖、オゼット湖の近くには大規模な18世紀ごろの遺跡が見つかりマカー族の多くの民具などが発掘されているが、これは地震による地すべりにより埋まったと見られる(1700年に日本沿岸に大津波が押し寄せた記録があり、マグニチュード9の「カスケード地震」が現在のワシントン州付近で起こったと考えられている。これがオゼット遺跡を埋めたと見られる)。
update:2009年09月16日
